散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道を読んだ。
内容は簡単に言うと、栗林忠道の家族へあてた手紙を中心に、硫黄島の戦いを追ってゆく。
初めて硫黄島に関する本を読んだ。
硫黄島って存在は知っていたし、そこで酷く激しい戦いがあったのも知っていたが、それがどれほど酷く激しい戦いで、どんな存在なのかは全く知らなかった。
取りあえず数字を見てみよう1945年2月16日から3月26日の36日間で、日本側戦死21,800、捕虜200 アメリカ側戦死7,000、戦傷19,000。
約22平方キロメートルの小さな島で、これだけの人間が一ヶ月弱で戦死している。
この小さな島は、日本よりアメリカの方が有名らしい。
特にアメリカ海兵隊にとっては聖地の様な場所らしい、現在でも訓練に訪れた海兵隊員が戦勝記念碑に自分のドックタグを記念に残して帰っていくらしい。
また、ブッシュ大統領がイラク戦争の終結宣言の演説でも「ノルマンディの大胆さと硫黄島での勇気が示された」と演説で引用するほど、一般人にとっても、苦難を乗り越えた勝利というイメージが強いと本書でも紹介されてる。
(俺の好きな作家にスティーヴン・ハンターってのがいるんだが、彼の代表作のシリーズ ボブ・リー・スワガー&アール・スワガー サーガの主人公も硫黄島の戦いを経験してる筋金入りのタフで素早い海兵隊員って設定だった。)
アメリカ海兵隊の聖地になるほど、酷く激しい戦いが行なわれた場所って事だ。
それを迎え撃った守備隊は、補給すらまともに受けられず、圧倒的な戦力差、加えて自分達に勝利が無いことが解ってた、海兵隊以上の地獄だっただろう。
この本を読んで驚いたのが守備隊の士気の高さだ(士気が高いってのはやる気があるって事)。
軍隊で士気ってヤツは特に重要だ、普通の会社だってそうだろ?やる気が無きゃはじまらない。
当初五日で制圧されると予想された戦いが36日間にも及んだのは、この士気の高さってのも大きく左右してると思う。
しかし、よくあの絶望的な状況で士気を維持できたもんだと思う。
守備隊は36日間だけ戦ってたわけじゃない、八ヶ月前から硫黄島に入り米軍を迎え撃つ地下陣地を構築してる。
穴掘りってヤツは、やったこと有る人なら解ると思うが凄まじい重労働だ、しかもその工事は、固い地盤を湧き出るガスと最高で50度にもなる地熱と戦いながらだ。
硫黄島には川が一本も無く、湧き水も飲めない、有るのは汚染された雨水だけ。
そんな状態で工事を八ヶ月した後、死ぬまでゲリラ戦を行なう。
普通なら士気も糞もネェと思う、が硫黄島ではそれが最後まで徹底してすべての兵に維持された。
それは指揮官であった栗林忠道の力量だ。
よほど指揮官に魅力が無いと、不可能だと思う。
栗林忠道は師団長だ、師団長クラスの人間ともなれば一般の兵士は、名前どころか顔も知らない、ほとんどかかわりなんか無いからだ、直接命令されるわけじゃないから、別に顔を知らなくても不都合なんか無い(まぁ最近はこんな感じだ、多分昔もこんな感じだと思う)、しかし栗林忠道は相当現場視察を行なったらしく、ほとんどの兵士は栗林忠道を見た経験があったらしい、現場視察なんてモンは大体現場から言わせて貰えば煙たがられるだけがオチなんだが、栗林忠道の場合はそれが士気の高揚に繋がっていったと言うのは、相当部下から愛された指揮官だったんだろう、この状況からいったら栗林忠道は部下から憎悪の対象にされてもおかしくは無いにだ。
それは指揮官の栗林忠道も解っていただろう、そんな状況でも自分を慕ってくれる部下に栗林は死ねと言わねばならない。
彼の家族へ当てた手紙や部下達の証言を読むと、彼が優しい人間だったのがよく分かる。
そんな人間が部下に死ねと命令しなくちゃならない、戦線の後方で命令するならまだ楽だろう、それはただの数字だ、だが彼は積極的に前線に赴き、部下と同じものを食べ、部下と苦労を共にしてる、そんな部下達に死ぬまで戦えと命令する。
それは、並みの人間じゃ出来ない事だと思う、これこそ断腸の思いってヤツだ。
この本の題名になってるのは、彼が最後の攻撃前に司令部に送った訣別電報の最後に送られた辞世の句の一つの一部分だ。
悲しき、という表現は当時ではタブーに近いものだったらしい、辞世の句だけではなく彼の書いた訣別電報は当時のタブーとされていた表現だらけで、司令部は内容を変えて発表した。
そんな指揮官だからこそ、部下に愛されたんだろう。
栗林忠道は最後に、最前線で戦死して、他の多くの部下と同じく遺骨を回収できなかった。

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