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みんなが、多くのみんなが、生きる為に、この件に関して、感情はいらない。

死刑に賛成だの反対だの最近よく聞く。

でも思うんだが世の中、建前と本音ってのがある、それに意味やら目的やら思想やらが絡み付いて、こんがらがって、グシャグシャになってる感じ。

死刑の意味の建前ってのは、こういう事らしい。

死刑判決を受ける⇒死と向き合う事で悟りを開いたように反省する⇒良い人間になる⇒でもやっぱり死刑⇒良い人になったのに殺される⇒被害者の気持ちがわかる⇒Go to Hell⇒合掌。
 
まぁこの流れが死刑の建前のシステムらしい、あくまでも建前だが、反省ってのがミソか。

建前で議論するから、ゴチャゴチャの泥沼になってると俺は思う。

じゃ本音は?なんだ?被害者の家族の復讐の代行の為?違うね、きっと違う、これは相当古く強いシステムだ、システムに感情はもぐりこめない。

何で人を殺しちゃいけないか?人を殺してはいけない理由。

おれはこの理由を根本的に考えなきゃ、本音の部分は出てこないと思う、俺の考えはこうだ。

誰かが言ったらしいが、道徳とか宗教とかを抜きに人を殺しちゃいけない理由は説明できない。

俺はそうは思わない。

簡単だ。

社会を維持する為。

それ以外の理由なんか無い、そう人間が集団で生きる為だ、隣にいる奴が自分を殺すかもと思ってたら一緒に生活なんか出来ない、集団でいる事がありえ無い。

もし今、大地震や核戦争が原因で、無法の世の中、人殺しフリーの世の中になったとしても、またその中で無数の集団が出来て、その集団の中では自由な殺しはご法度になるだろう。

人殺しがいけないってのは、人間が最初に考えた集団生活の為の群れの為の知恵だと思う。

その為にその原則を守る為に、きっと愛を作り、神を作り、情をつくり、宗教をつくり、道徳をつくり、心をつくり、友を作り、情をつくり、倫理をつくり、まぁとにかくがんじがらめにしたした。

その効果は?大成功だろう。

ほんのごく一部の例外を除いて、色んなものにがんじがらめだ。

本当に嫌いな奴を目の前に連れてこられて、殺しても罪に問わないから、殺していいよといっても、大抵の奴は殺せないだろうし、それが単に嫌いな奴とかじゃなく、親の仇でも殺せ無い奴の方が多いんじゃないか?

大事なのココからだが、早い話どんな事にも例外があるちゅう事だ(まぁこの件については例外が無いが)、それでも殺す奴がいる。

さぁどうする?出した答えは、排除だ。

そんな奴は片っ端から社会から排除していけば、維持できる。

それで最も確実な排除する方法が、死刑、二度と戻ってこない。

最大の禁忌を自ら犯すという矛盾を抱えたとしても、最も確実であり、また矛盾を孕むが故に断固たる意思を示せる方法。

俺は思う、この件に、感情はいらない。

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