清朝の台湾統治 1
清朝の台湾の統治方針
鄭一族の勢力を排除した清はその後の台湾の処置をめぐって、台湾を清の版図に加えるか否かで意見が分かれる。
大多数の人間が、蛮族と海賊の巣食う小さな島を版図に加えても管理する労力の無駄であるから、台湾はそのまま放置すべきであると主張した。
東寧王国討伐を果たした施琅(スーラン)が、これに異を唱える、もし台湾を放置すれば大陸南東部の沿岸部の護りは難しくなり、加えてオランダに再び占領されるは必至、また海賊の拠点として活用される可能性も大きい。
最終的に施琅(スーラン)の意見を聞き入れた皇帝が反対意見を押し切り、1684年4月福建省の一部として清朝の版図に台湾は加えられる事となる。
台湾の統治方針は、今まで反抗勢力の拠点として活用されていた事もあり、反抗勢力と海賊対策に重点を置かれたものとなった。
台湾を統治する役人は三年交代で家族の同行は許されなかった。
またそれは、駐在する軍隊も同じで、妻帯者のみで構成され、彼らも家族の同行は許されず、必ず三年で交代した。
彼らの家族は実質人質で、反乱の防止である。
移民も厳しく制限され、三禁といわれた法律が作られた。
1 移民する際は必ず清朝の許可をとる。
2 独身で家族の同行は許されない。
3 海賊に福建省と広東省出身の者が多い為、福建省と広東省の人間は移民できない。
以上の三つである。
これらの清朝の台湾の統治方針からわかるように、清朝はオランダのように台湾の拠点として活用するような考え方は無く、ただ国防の為に仕方なく統治せざるをえない厄介な島でしかなかった。
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