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2006年8月 4日 (金)

東寧王国の台湾統治 1

東寧王国誕生の経緯
鄭成功死後の後継者争いの経緯

鄭成功の死後、後継者争いに二人の男が名乗りを上げた。

鄭成功の異母兄弟で弟の鄭襲と、息子の鄭経である。

まずは鄭襲が東都、現在の台南を拠点に名乗りを上げる。

そして、経が明朝皇室の寧靖王を味方につけ、自分が正統であると主張し、廈門を拠点とした。

清はこの内部分裂を、見逃さず、経に投降の交渉を呼びかける。

経は清との交渉を受けながら、叔父との戦いを開始する。

経は父の有力な部下であった陳永華の協力を受け、この戦いに勝利する。

その後、台湾を部下の黄安に統治させ、1663年廈門に自身は戻る。

鄭経の東寧王国建国の決断の経緯

経が廈門に戻ってから、長崎の金庫番を務める鄭泰と対立関係になる。

経は、鄭泰を投獄する。

それに反発した、鄭泰の弟、鳴駿と鄭泰の息子で四千の兵と軍艦百隻をつれて、清に投降。

鄭泰はその後、獄中で自決。

清は投降した鳴駿を軍勢に加えて、1663年オランダとの連合軍を結成、金門と廈門を攻める。

経は金門と廈門放棄、銅山という山に篭って戦うが、部下達の動揺が激しく、離反者が続出。

離反者の流出はとめられず、最終的に合計して、文官4000人兵士4万人、軍艦900隻という兵力の四分の一にあたる離反者をだす。

四ヵ月後の1664年3月、中国大陸の拠点をすべて放棄、台湾に全面撤退。

その時、父の成功に協力していた、明朝の残党約七千人も経について台湾に渡る。

これで清の主だった反抗勢力が台湾に集結することとなる。

台湾に撤退した経は、台湾を自分が支配する独立国家へ本格的に作り変える為に動き始める。

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投稿: 旅行 情報 | 2006年8月 5日 (土) 14時54分

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